• ごうちゃんの「照らすこころ」

  • De: FM岡山
  • Podcast

ごうちゃんの「照らすこころ」

De: FM岡山
  • Resumen

  • 照泰仏堂は、仏具店として人を心を大切に接客してきた幡司剛成さん「ごうちゃん」。 考え方や人生を楽しく生きるには?といった日々心がけること、 「気付き」や「きっかけ」お聴きいただいているリスナーと今後共有していきたいと思っています。
    Copyright OKAYAMA FM Inc. All Rights Reserved.
    Más Menos
Episodios
  • ごうちゃんの「照らすこころ」vol.04
    Apr 8 2025
    毎月第2火曜日ごうちゃんの「照らすこころ」仏具店として、人そして、心を大切に接客を続けるごうちゃんの考え方や、人生を楽しく生きるための「きづき」や「きっかけ」をお話いただきます。照泰仏堂HP:https://www.shoutaibutsudou.com/岡山の仏壇店「照泰仏堂」(昭和53年設立)は、お客様の仏事の【とーたるさぽーと】を行う仏壇屋です。お仏壇は唐木仏壇・金仏壇・モダン仏壇、合わせて随時100本以上展示。お仏壇の移動・掃除・処分も承ります。お仏具、位牌と文字彫サービス、線香・ローソク・神棚・神具、寺院用具、粗供養、満中陰志、各種返礼品、オンラインショップ、雑貨など、幅広い品揃えとサービスでお客様の毎日に寄り添います。前回のコーナーは「死」についてでした。放送直後に聞いた方から声が届いたそうですね。もうありがたいことにいろいろお声をいただいたので、もう僕もすごく嬉しくてですね。今後の励みになるなと思いました。死について考えるっていう事は、私たちは普段どうしても避けてしまうことだし、大切な人の亡くなった後というのは、本当にとっても辛いことだけど、「死」をもって分かる愛があるっていうことですよね。「死」というのは「最期の愛」と思っています。日常生活から僕たちが意識していかないと、渡したり、受け取ったりというのは難しいかなとは思ってます。今月はどんなお話ですか?今日は何の日かわかりますか?(4月8日)お釈迦様の誕生日おめでとうございます!おめでとうございます。約2500年前ですね、お釈迦さんが誕生したのは。いわゆる「花祭り」、お釈迦様の誕生日(4月8日)を祝う仏教行事です。お釈迦さんの教え中で感銘を受けたのが托鉢(たくはつ)って知ってますか?※托鉢とは、僧侶(修行僧)が街を無心に歩き布施(ふせ)(喜捨(きしゃ))したい人が現れれば、ただそれを受け取る修行です。お釈迦さんが、お弟子さんたちに「托鉢(たくはつ)を各家の玄関に行って、お経を唱えてきなさい。」そこで施しを受けてきなさい。お経をいただいたところは、野菜だったりとか食べ物、金銭を施しを受けたわけですね。そこでお釈迦さんが、その弟子たちに問題:どんな家に托鉢(たくはつ)してきなさい。と言ったでしょうか?答え:貧しい家に回りなさいって指示出したんです。これ、なぜかというと。貧しい家の人っていうのは、日々生きることに精一杯なんですよね。「徳を積む」ことがなかなか自分からできないんですよ。そのためにはやっぱりこの貧しい家の方に回ってお経をあげて、そこで少しでも、お米の少しでも、野菜の少しでも施しさせてもらうという気持ちで、「徳を積む」という形を、向こうから行動を移してもらうために回りなさいっていう。貧しいお家回ったら迷惑かけちゃうかなとか。そのお経なんかいらないよ、なんか野菜くれとか言われそうだなって思ったりしたけど、その苦しい中で自分ができることを与えるっていうことが、徳を積むこと、喜びにつながってくるわけですね。自らなかなかできないから、こういう環境を作ってあげるということ。行動が必要。「与える方が先」ということ。求めることばっかりをどうしても行ってしまう中、「与えるが先」やっぱりそこから掘り下げていくと、日常生活に生かしていける「きづき」や「きっかけ」になるのかなと。私達が日常生活、悩んだり・苦しんだりしてるというのは、外的要因じゃないんですよね。「内面、自分の心の中。」それを外的要因として決めつけて、自分たちで心を乱されているの状態。だから結果的には何をしたとしても、心の内に目を向けるってことの方が一番大事。お釈迦様が最終的に行き着いたと言われいます。行動を移していきながら、常に自分と会話をするっていうのが多分大事だと思うんですね。今の状況との会話だったりとかですね。他人の目が気になれば、他人軸、自分軸ってあるけど、他人ばっかり・周りばっかり、目に見えることばっかりを意識してるから、そっちに惑わされるわけで。苦しくなっていくわけですけど、自分と会話して、自分の心のうちに目を向けておけば、...
    Más Menos
    16 m
  • ごうちゃんの「照らすこころ」番外編 ~線香の香り・におい~
    Apr 7 2025
    ごうちゃんの「照らすこころ」番外編線香の香り・匂い。あなたはどのように感じていますか?幡司さんの実家での話母が、倉庫の中に雨の日とか洗濯物干すと僕らもその中に生活してるからわからないけど、学校にいくと線香くさいとずっと言われてました。今だったら言われないかも。お家にお仏壇とかなかったら、お線香の匂いって嗅がないし…。今は、昔ながらの香りは好まれてないというか、嫌われてる傾向にあるので、コーヒーの香りもありますというのもあります。お香の香りがいいっていう人やっぱりそれがくさいっていう人というので。でもその臭いっていうのは、線香にも優しい香りからちょっときつい香りとかにおいの段階があります。どういう背景で嗅いだかっていうのも関わってくるかもしれないです。僕はお寺さんからすると、どのお線香がいいかとかいうのはまあ、香木(こうぼく)の香り。少し値段が高めで、それも段階があります。本当に混ぜものが少ない伽羅(きゃら)は、高いです。そこは特別なもので、こういう香りが仏様にはご馳走とは言われてるんです。今では、線香の香り・においは花の香るラベンダーだったり、桜とかすずらんとかいう香りがあったりその中には。無香料もあったり。煙が少ないっていうタイプも。いろんな香りがあって、でも一番は香木(こうぼく)の香りを使うのが一番いいんです。線香を選ぶポイントとしては、自分の気持ちが落ち着くための香りが一番いいんです。その香りを買うことによって、自分の気持ちが落ち着くのであれば仏さんも多分喜ぶと思います。上の世界にいった時に、残された人がどういう風になってほしいか。って思うんですね。平穏無事で浮き沈みの少ない日常生活。これが多分一番じゃないですか。仏壇などで、日常生活の報告をするとしたら、今日も一日ありがとうっていう言葉とで、自分の中でお線香を焚いて、好きな香りを気持ちで落ち着かせて拝む方がいいと思います。ろうそくの炎っていうのは1/fのゆらぎって言うんですけど、不安定なんですよ。人間の心も不安定なんですよね。ろうそくの炎を見ていると気持ちが落ち着くという方1/fの揺らぎの法則があって、それが自然と自分の心にあってくるんです。だから気持ちが落ち着く。また、ろうそくは向こうの世界の明かりとも言われています。自分にとってはそういう心を落ち着かせるための作用がある。で、好きな香りでお線香を立てる気持ちが落ち着くとは、向こうの世界の人は?嬉しいんじゃないか。全部今までは押し付けられてきてるんで、こうしないといけない、ああしないといけない。その反発が今結構いろんな場面で、仏教とかいろんなことに限らず、日常生活に出てきてると思うんですね。その反発は今までの押し付けがあった分。それをなくしていくっていうような形が、まあ今の時代なのかなと思うので。私たちも心穏やかに生きていって、そして仏様も幸せにっていう、そんな世の中がいいですね。
    Más Menos
    5 m
  • ごうちゃんの「照らすこころ」vol.03
    Mar 11 2025
    毎月第2火曜日ごうちゃんの「照らすこころ」仏具店として、人そして、心を大切に接客を続けるごうちゃんの考え方や、人生を楽しく生きるための「きづき」や「きっかけ」をお話いただきます。照泰仏堂HP:https://www.shoutaibutsudou.com/岡山の仏壇店「照泰仏堂」(昭和53年設立)は、お客様の仏事の【とーたるさぽーと】を行う仏壇屋です。お仏壇は唐木仏壇・金仏壇・モダン仏壇、合わせて随時100本以上展示。お仏壇の移動・掃除・処分も承ります。お仏具、位牌と文字彫サービス、線香・ローソク・神棚・神具、寺院用具、粗供養、満中陰志、各種返礼品、オンラインショップ、雑貨など、幅広い品揃えとサービスでお客様の毎日に寄り添います。前回のテーマは、「運のつけ方」「運」というと私たちは、強運とか悪運とかいいますが実は、そもそも自分は運がいい!というところからスタート方がいい!でしたね。「運」というのは、自分で決めることであり、どんなことがあったとしても皆さんは、「運がいい」ところからスタートしているので、原点に戻りましょう!生まれてきて、存在していることが運がいいということですね。今回のテーマは?「死」について仕事柄、普段から「死」について考えていて、違和感はあまりないのですが「死」について、普段みなさん考えたことがありますか?自身の母が亡くなったことを振り返ると、「おかん死んでくれてありがとう」これには、理由があるわけです。「死」というのは、怖いですか?無意識のうちに避けているもので、また、自分の死と他人の死は違いますし自身はどうゆう「死」を迎えるのだろうか?死というのは、寿命が決まっていると言われています。でも、死に方は決まってないとも言われています。要は、生き方によって変わります。例えば、食べ物が悪かったり、自分を酷使し続けたりすると病気になって、身体を壊していき、最期を迎えることも。でも、考え方や意識の持ち方をしっかり持っていればおそらく、穏やかな死を迎えることができると思います。「死」というのは、どうしても怖いイメージがある。幡司さんの考える怖いというイメージからくることは、大切な人の死怖いというイメージを考えたくないから目を背けるためもし…というときに後悔であったり、色々なことを考えてしまう。ということは、日常生活から「死」に対して意識した生活を送る必要があると思います。他人もしくは、大切な人の死に関しては、この人がいなくなったら…ということは、考えることはできるはず。例えば、大切な家族であったり、友人、仕事仲間…。もし、この方がいなくなったら?ということを意識していくと優しさであったり、色んなことに繋がってくることだと思います。ただ、日常生活で「死」について考えようとしても難しい。「死」というものを何かに置き換える・とらえ方を変える必要があります。さて、「死」を何に変えますか?死=生きる?死=愛 に変換する。愛する「愛」です。いつも思うことは、大切な人が亡くなることというのは、最期の「愛」だと思っています。最後にくれる愛「ギフト」これは、どうゆうことかと言うと、冒頭に戻りますが、幡司さんの「おかん死んでくれてありがとう」自分の母が教えてくれたことは、亡くなった最後の時にいままで、生きてきた・生きている間には、何も気づけなかったことがありました。母が亡くなってから、色んなことに気づくことができました。今まで気づけなかったことが、今では、生きる力に変わってきています。私たちは、何をしなければならないのか?と言えば、「生きている間に残される人たちに自分の愛を最後に気づいてもらう生き方」をしなければならない。生きている間に「死」について考えたりだとか、「愛」について考えてみることや色々なことを考えた生活を送る必要があると思います。生きている間に伝える愛は、絶対に伝わらない。自分がいなくならないと伝わらない愛。自分が亡くなるまでのその間に、子どもであったり、家族であったり、友人、みんなに自身の伝えたい愛を行動に。この内容...
    Más Menos
    16 m

Lo que los oyentes dicen sobre ごうちゃんの「照らすこころ」

Calificaciones medias de los clientes

Reseñas - Selecciona las pestañas a continuación para cambiar el origen de las reseñas.